今宵、千里の片隅で。

日本最古のニュータウンの片隅で、 画家・待井健一は今日もちくちくと制作しています。

2012年08月

水平線と運命線。

344e033e.jpgゾッとするくらい美しい青をした海だった。
彼方にほんの少し西日が射しただけの、
それ以外ただ波が打ち寄せるだけの海。

車窓からの海は、立ち止まって眺める海とはまた違うドキドキがある。
広がりがより実感できるからだろうか。

昔々、この海沿いの路線を各駅で帰ったことが一度だけあった。
はるか南端の町からの、長いような短いような鈍行の帰り道。

出逢うか出逢わないか。
一番際どいところは、
本当に髪の毛一本ぶんの 隙間しかないように思う。
そのほんのわずかな隙間に手を伸ばさなかったことに胸を撫で下ろすこともあるし、
死ぬほど後悔することもある。

どちらもあった。
あった気がする。

山の上で風力発電の風車が沢山で回り続けているのが見えた。
少しずつ街灯りが増えつつある外の景色は、
夏の終わりという文字がよく似合う。

海岸線の彼方。

418fc71a.jpg温泉から上がって、
太平洋を見ながら
地酒をちびり。
こんな時、波音と地酒にまさる組み合わせなし。
テレビも灯りもつけない。
床の間の行灯だけがちょうどいい。

遥か遠くの海岸線あたり、ゆっくり流れる光の帯が。
あれはどのあたりだろう。
方角からすると御坊付近か。
何もなくただ漆黒の水平線もいいが、
彼方をゆっくり流れる車のライトをぼけ~と眺めるのも、
私は好きだ。

さざなみ×秋の虫の声。
ここでビールは無粋。
またひと口ちびり。

帰れば早速作品の加筆修正と手術。
なんて久しぶりに言葉に出したら、
大阪のうだるような暑さと共に現実が顔を出した。

こんなひとときって、
作品に活かされるのだろうか。
活かされるんだろうな。今までもずっとそうだった。
旅をするごとに、
自分の想像できる世界の突端が広がる気がした。

しかし、
未だにこの、夜の海独特の空気感なるものは
表現できていない。

旅先のけだるい夜には。

66c991e5.jpgそのホテルには内部に屋台がいくつもあり、土産物街があり館内のあちこちに案内標識があった。
島そのものがホテルという、誰がどうやって作ったのか見当もつかない巨大建築物である。

一歩外に出ると、
薄暗い外壁と無数の配管がどこまでも続いていて、さながらバイオハザードそのもの。一度ここで迷ったら、おそらく朝まで部屋には帰れるまい。

幾度か日帰りで温泉には来ていたが、
泊まったのは初めてだった。それも島の一番山頂部の部屋。
いつか面白がって侵入したのが、
まさか宿泊することになるとは。

眼下に港をのぞむ。
町の灯がほんの一握りしかない。
背の高いビルもない。
窓を開けても、電車の音も車の喧騒も入ってはこない。

波打ち際の洞窟風呂では、荒い波が砕ける音だけが夜の闇にこだましていた。

スケッチブックも読み物もないから、
静かに観念してただ街を眺めていよう。

一年か2年に一度訪れるたび面白がって散策するうちに10年近くが過ぎ、いつの間にか遥か半島の裏側のこの小さな港町は、街灯りから内部を想像できるくらい、勝手知ったる街になった。

あの、灯りの全くない奥のあたりが、
きっと那智の滝。
聞けばライティングされるのは本当に稀だという。
かつて私は初めて訪れた時に、偶然にも暗闇に浮かび上がる神がかりなまでに美しい滝の姿を見た。
そしてあの滝が、誰にも見られていなくともただそこでどうどうと流れ落ち続けるのだという当たり前の事実に、何故だかひどく感動した。

あれはいろんな事共と一緒に、
きっと一瞬の永遠のようなものだった。

今こうして眺める町の灯は、かつてのどの時よりも穏やかに感じられる。

潮騒をききながら。

ff98415e.jpg湯と海の境界線が岩ひとつ分しかない。
完全に貸切り状態の露天に一人。

あえて難を言えば、客室からも女湯からも側を通る船からも、びっくりするくらい丸見えであることくらい。
眺望とプライバシーを極端なまでに二者択一にした心意気がすがすがしい。
陽射しと雨とがめまぐるしく入れ替わる紀伊半島南端付近にて、
この夏最大の休暇。

古い漁港はいつ来ても変わることなく、
完全に塗り替えられつつある千里とは時間軸が違うよう。
マグロと温泉の国とは、本当によくいったものだと思った。

パラダイス。

120825_2356~01

ついに引越し完了。
念のため3回以上に分けて、2匹、3匹と投入していった結果、
昨日無事全ての住人が90cm水槽に入った。

アトリエにこんなの置いたら好んで仕事場に向かうだろうと思っていたが、
思わず目で追ってしまうあたり、ひょっとしたらしばらく逆効果かもしれない。

これは間違いなく水族館か熱帯魚ショップの一部を切り取った光景だと思った。
今まですし詰めに近かった古代魚たちが、身体を翻しながら悠々と泳ぐ姿を、
私は3年以上経って初めて目の当たりにしたのだった。
おそろしく広い。

が。

水を換えた後や深夜近くは別として、
大概はごらんの有様。
この光景を見ると、なんのための大型水槽なのかと思ってしまう。
当面の目標は、とにかく中~上層を泳ぐ魅力的な子を
探すこと。
プロフィール

待井健一

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